怒りをコントロールする方法 2018

チラシを撒き散らしたりセールスの電話や突然の訪問、自分が迷惑を人に押し付けているのがわかりきってるような仕事がいくつもあって、マンションのロビーでそれに指摘したそばから「彼らだって仕事なんだから」とたしなめられる。そんなものやめちまえと思う。

中華料理を食べるときは真剣になる。
つい頼みすぎ、食べきれるかどうかと睨みつける。そんな顔はきっと楽しくなかった。
中華街を出て港を通り、イルミネーションと人々のあと、高速道路から見る天王洲あたりでようやく息を吐く。まったくなんとも思わない以上のこともなければ、水を差すこともない。
返事がなければそれでよかった。
そこにまさかの逆提案があり、余裕をもって一日寝かせておいたら姿が消えていた。実際のところ、自分は誰に腹を立てているのかがわからない。

行けないこともある。
かつて人の話を聞いたときには、そんなことはないと思っていたが、それは実際にあって、どう付き合って行くかを考えるほど厄介ではある。
バーに行かない日も多い。
ある程度用意された場所でもなければ、女店員が常連の男を小馬鹿にしている、そういう光景ばかりを見ることになるし、そういうのはもう飽き飽きした。

セイビア

シベリアン・カートゥルを10年ほどぶりに再確認して熱狂しているその裏では界隈の楽曲選挙が行われており、たぶんきっとここにも好みの音楽があるだろうなと思いつつ、新たにハマって気にしたりするのも労力と時間を使うので無視している、ということも結構あるし、何かのパロディやオマージュ、自己主張に付き合うのもいい加減辟易とする。自分の問題だが。
デビッド・ボウイやペットサウンズがわからない感性を疑ったこともあるけれど、実際そんなものはあまり意味がなく、音楽の良さを語っても現実逃避的で、自分はうまくやれない人間だとアピールしているに等しい。

タダみたいな値段のフランスベッドが転がり込んでくるなり下へ物を詰め込むも、案外そこには収まらず、持て余したギターを売るべきかどうか腕を組んでいる。
もう二度と着ないであろう思い出の切れ端のようなTシャツも、捨てられずに箱へ詰められている(あと自分が作ったTシャツの不良在庫!)。
捨てるべきものとそうでないものを考えるとき、きっと先生もときめかない男を数々捨ててきたに違いない、と思う。

全額負担のドタキャンをされてもイヤミを言わない修行。
散髪ついでに「あなたはお金持ちに拾われるべき」などと言われてしまう。
「それで運転手として雇ってもらう、とか」
など。
代替案のラインでつかまえたあと、決断が正しかったかどうかを考える。経営者ゲームならスコアは何点?
“浪費”が副題みたいな夜。
飲み放題のプランを選択していたことだけは正解だった。けどこんなのはたぶん序の口。『他人に期待しない』が今年の抱負だったな。

アレしてくれ

もしも夜景がきらめくとすれば、アーベインのフィルターを通してようやくといったところで、相変わらずイルミネーションにはロボットのような反応しか返さない。気の利いた嘘も用意しているが、正直なところ、あれがバスかダチョウなのかもわかっていない。

バカラのシャンデリアをひとかけらちぎって持ち帰り、透かしてみると、合間を縫ってカンスト以上を消去法した単なる時間があなたがただと教えてくれる。それ以上の何かを求めていて、きっと言わせれば特別なことではなく、あなたは特別だと言いたげで、そういう復讐のようなものは、本当は興味のないことを訊ねるゲームでもある。僕はプログラム。僕は君自身。

フェイス・ノー・モア

食事を一日一度にしてから健やかかといえばどうだろうな。残った回数は欲望のままに過ごしてしまう。右か左に指図するのは、調子の良いことを言う練習のようなものだ。

車にひかれるために一歩踏み出して、左足に埋め込まれたバールのようなものを思い出す。
「君が寝たきりになったとき……あるいはそうして轢かれたときに苦しむことになるだろう」
医者の一言がよぎって足を戻す。ウーバーイーツのバイクが過ぎて行く。

今でも語り疲れない人たち。
まだまだ黙っていられると思った矢先……俺は傘を買ったんだけど、それを持ち出すと雨が降らずに終わる。
休日なしで働きづめて、それを縫って、どれだけ相手ができるかを考える。とりわけゲレゲレに陥る日曜夜はなおさら欲しい。左右に振れて、12時間待つ。そこそこの余裕。

哲学への責任

3階から転げ落ち、したたかに身体を打ち付けたが無事だったその翌日、金を払ってまで、そこから飛び降りさせてくれと言った。
「いいから」
昨晩ならその気持ちを思い出せたかもしれない。今では目覚めて、記憶の片隅を引きずり出したにすぎない。

ラブいという言葉を使わなくなってしばらく経つ。大抵の場合は南極の氷のように減っていくと思ってるが、壊れたパソコンからハードディスクをひっぺがして覗くと、まあずいぶん卑屈な曲ばかり聴いていたもんだと思う。
アポイントメントは当日相手の顔を見て歩き出しても確約の安心はないと思っていて、踏まえて届いたメッセージにいやな予感を覚えれば
「最近彼氏ができて」
「私に気があるとしたら」
「もしそうでなければ」
といった内容で、過去の何度かを思い起こさせるようでヒヤリとした。
「そういうつもりじゃないよ」
彼氏のいない子がいるのかどうか?実際のところもそれらが何か関係あるのかは置いといて、そういう目に見えたのかと疑う余地があるとしたら、まだまだ自分は幼稚だ。

オーバーユー

読まずに捨てた手紙もあれば、書いたこともある。問題は卑屈になりすぎないことだと思うが……こんなものはおもしろくないと思っていたことが概ね好意的に受け止められているのを見れば、考えずにはいられない。
呪いのようなものは健在で、なんとかしないとマズいことになるだろう

教会を貸切して『仮』のプロポーズをした話を聞いたり、また別のところでは、飲食店を創めるなら結婚していたほうが都合がいいとかで「最近仲良くしてる同僚に結婚を前提で」申し込もうと思ってる、とか、同棲している知人も気づいたら結婚してるなんてこともあるだろうし、みんなちゃんと前向きだなという雑感の反面、マネージャーから資金繰りを詰められて崩壊するかどうかの関係(まだ伝えていないものも伝えたら決定的だろう)になっている男もいて、もしそうなれば半分囲われているものも無くなって「あるなし」の返答も気安く答えられるようになるなと思う。
人生が上手に転がってしまいそうな予感も正直あるが。

もったいぶるほどの傘ではない

「彼女いるの?」
「好きな子はいます」
「アイドルとか?」
などと冗談半分で言ったところ
「好きな子がたまたまアイドルだっただけです」
と、やぶ蛇をつついたような答えが返ってきた。
似たようなことを訊かれたときに、ややこしいことを言ってしまうのはもうやめにしたい。他人に指摘してもらえることがあるだけ、まだいい。

氷を削ることもしないバーへ行く価値があるかといえばまあまあビミョーだが、自分を愛してくれる誰かに出会える可能性はある。
——という下心から、明らかに飲酒量のキャパシティを超えた状態でも足を向かわせてしまったが、店主の女は初めてのオレにかなり気のない返事などをくれた。こういう場合はオレが何かに試しに来たと思っているに違いないのだが、それなのに……帰ったあともグチャグチャで、そういうときに送ったメッセージの内容を翌日「覚えてる?」などと言われてしまう。ある程度は記憶にあるのに、目も当てにくい内容だった。相手の分別をわきまえていただけましだった。