キック・ザ・ピクニック

高尚でもないし、軽口のスラングともニュアンスの違うそれは、傷心旅行やラブレターとしても浸りすぎる。余った切符でどこへ行こうか、それにしたってかつての先々、息を継ぐ先にて人間関係を壊して回っているようで、そうして覚えた身勝手なヒステリーが落ち着いた頃ではあるけれど、生活の困窮もあり常にドロドロとした不安(みたいなもの)が楽観とともにつきまとう。友だちのことは大好きだし、愛してるのに、そいつも試すようにして、きっとこの文章だってまた然り、新年の挨拶さえも尚。

その田舎の夜道を車で走る。
今は本当に明日のこともわからない。ケイ君が「サバイバルしてますね。日本で」と俺に言ったのは大げさだとしても、右折の際、車線変更のたびにズドン!と追突される光景が血液とともにドバッと広がり、ハンドルを持つ手に汗を握るのは大げさだとしても、つまりそういう覚悟があって、俺はいつでも準備はできてる、大丈夫だと言い聞かせたとしても、実際うまくいくことはなく、思わぬところで崩れてしまうのはきっと計画が他人に依存しすぎてしまうためで、やはりそうでない手段を探すべきだという大げさではないアドバイスをしてもらう。