死せる生

外を歩くのにネクタイとスーツが必要だった東京に比べれば、そういう意味でこの田舎は気が楽だ。煙を吐き続ける工場も無ければ、一日中金属の音がするわけでもない。けれどもこの田舎は生きていて、俺を忘れることもなく、巡回するパトカーと警察官を楽しませることができる。何も変わらない。今でも彼と彼女は働きながら、退屈だから俺に死んでほしいと思っている。

友人を食事に誘おうとして、ここが東京でないことに気づく。鈍行列車にして7時間の距離は大した隔たりではないと思っていたが、ずるりと足を取られた心地で昔のビデオ・ゲームを引っ張り出したり、泣いてみたりする、涙は(出ない)いったい何が為に流れるのか。わからない。たぶん、タイからそのまま流れて暮らしていた東京、及び旅行はここで終了したのだ。静かな感傷、よりも友人から借りてるものを返さなければならないし、どちらにしても旅人なんかじゃないし、そう呼ばれたくもない。