チューブラー・ベルズ

休みの京都を過ごしてそのまま神戸に来たのはいいけれど、ホームシックでもなく電話したい心境はそのままぶつけていいのかわからない。素直に受け止めるなら、今更湧いてきた申し訳なさに泣きつくだろうか、謝りながらもこうして日記を書くなら可笑しくて、それでもやりきれない、そうした俺にしゃらしゃらと鈴を鳴らすなら笑ってみせる。

新環境の構築はイメージだけなら楽しめる。けれども追い詰められた心地が抜けない。アルバイト応募の電話をすれば土日休みと言われた二日を泥のように寝て過ごし、ドロドロとした××に襲われて、つまりはなんらかのアクションを取らなければ、俺は嘘をついて嘘をついて嘘をついて嘘をついた手前、そして「それは今のあなたに期待をしてないだけだ」と受けたメールで死んでしまう。しゃらしゃら。わからない。本当にわからないから、東京行きのバスチケットを予約して、また戻ることにした。そういう俺を、と考えるところはあるけれど、手間も煩わしさもなく再び仕事ができるならそれで良かった。今はそれしかわからない。がむしゃらに、脳みそが満たされる、そうした感覚で俺はまた忘れるだろうか。それでもキューバの硬貨、メッキの施されたプラスチック、友人に譲られたそれらを見れば思い出すことがある。それはネガティブなんかじゃない。