号泣できるか

デイヴ・ムステインにおけるメタリカだったり、北方謙三における中上健次だったり、コンプレックスを吐き出すその姿を美しいと思ったそれは単なる共感だったのではないか?

休日、いつものようにパルコを歩き、×館3階にあるブティックの店員を見たときだった。突然心臓がキューッと痛んだかと思えば俺は医務室に運ばれていたらしい(『らしい』と書いたのは気を失っていたためだ)。
俺は医者に「恋ですかね」と言って笑うと、彼は厳しい顔をするのだった。
かくして俺は漫画『四年生』を読むのを禁止された。

苛まれ、腕をカッターナイフでざくりと切った日、俺は医者に「何かあれば」と渡された名刺を頼りに電話をかけた。
「もしもし」
と言う彼の声は面倒くさそうで、背後から「なあに?」と言う女の声がする。俺は電話を切ると、名刺を破いて捨てた(なのに今でも言いつけを守っているのが可笑しい)。

以来、フラフラと街を歩くと異次元を散歩しているような心地になる。
電化製品屋のテレビではアイドルがしゃべっていて、レストランでは男女がワインを傾けている。ケバいシャツの男が「お兄さん、どう?」と話しかけてくる。ビルの隙間ではカップルがお互い黙っている。美容室では店員が笑っている。私服で下校中の学生が、いくつかの組を作っている。白いセダンが走って行く。携帯電話を開いてまゆゆの顔を見たとき、俺はなぜだか崩れてしまった。
「大丈夫ですか?」
声をかけられ、思わず逃げ出した。そうして交差点を飛び出したとき、原付バイクにはねられた。ドライバーはバイクから降り、倒れた俺に「大丈夫ですか?」と言った。